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日本の農業の歴史パート5~ギャラクシーの逆襲~

こんにちはKrei-Agriの設楽です。

今回は、鎌倉幕府を滅亡させ、室町時代へと、時がすすんでいきます。

興味のある方は見ていってください。

もし間違い等がございましたら、コメント等でお知らせください。

鎌倉幕府終焉へのカウントダウン

1221年承久の乱後の世界は、武士の力がますます、増大していきます。

そんな中、当時の執権(将軍の補佐)北条泰時は、すべての法律は、貴族が中心になっており、それを武士中心とした「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」を制定しました。

また武士は、貴族とは違い、教養のレベルも高くなかったので、わかりやすく書かれています。

泰時の政治手腕は、後世に語り継がれるほど、立派なものでした。

今の使えない政治家に、爪の垢を煎じて飲ませてやりたいですね。

さらに時が進み、終焉へのカウントダウンがスタートします。

そのきっかけが、日本が二度攻め込まれた「元寇(げんこう)」です。1度目が、文永の役、2度目が、弘安の役と呼ばれており、九州北部が戦場になりました。

チンギスハンが建国したモンゴル帝国の五代フビライが、攻めてきたのが、元寇です。チンギスハンに関する都市伝説についてご存知ですか?チンギスハンは、生き延びた源義経(頼朝の弟)ではないかといわれています。

頼朝が、源平合戦の活躍にビビッて、鎌倉に入れないようにし、逃げた義経を探すために守護地頭を配置したともいわれています。このような都市伝説は、ロマンがあっていいですね。私が、歴史が好きな理由でもあります。

話を戻すと、もちろん、封建制度により、御家人たちも戦います。元の軍は、てつはうと呼ばれる火器を用い、御家人たちは苦戦を強いられます。

戦いの痕跡が、いまだに九州北部では、見られるので、出かけてみてください。

日本は、やはり強い国ですね。二度とも侵攻を防ぎます。これは、「神風」のおかげであると、長い間信じられていましたが、日本の武士たちが、頑張りがあってこそのものだったという説が出てきました。

長期戦に持ち込めたから、決定打として、日本海側の激しい嵐や台風が来たということだそうです。

こうして、元寇を乗り切ったものの、カウントダウンは、とまりません。前回のおさらいをしましょう。

封建制度とは、土地を仲介した主従関係のことでしたよね。

元寇を防ぎ切った武士たちに、褒美として、領地(土地)を与えなければなりません。

フラグを回収していきます。武士たち頑張りすぎて、土地が足りません(笑)。班田収授法でやったときと同じミスをしていますね。やばいです。これでは、封建制度が崩壊してしまいます。そこで幕府は、やむを得ず、徳政令を出します。

徳政令とは、借金を帳消しにしなさいという命令です。それでも、武士の生活は、苦しいままでした。幕府への不満が高まっていくなか、それを見逃さなかったのが、後醍醐天皇です。

私はこいつをギャラクシーと呼んでいます。

なぜなら、バンドGODAIGOの有名な曲、銀河鉄道999(ギャラクシーエクスプレススリーナイン)から命名しました。

適当なあだ名とかつけながら、覚えていくと意外と忘れないものです。倒幕へ向けて動き出しますが、作戦がばれて、隠岐に島流しにされます。

しかし、こいつしつこいんです。また、京都に戻っときて、足利尊氏らと兵を挙げます。

1334年に、とうとう鎌倉幕府を滅ぼします。

1333年という説もあります)

最後までカウントダウンは、とまりませんでした。

今回の原因を推察すると、中国のシステムをそのまま日本に用いたことだと思います。

面積の広い中国は、土地がなくなる心配はありませんが、狭い日本では、そこがネックになったのでしょう。

我々もただ真似をするだけでは、だめですね。

自分にあった形へ変化させましょう。

しかし、倒幕の喜びも束の間、今度は、今度は自分が幕府をつくると思っている足利尊氏側と、武士から実権を取り返したと思っているギャラクシー側が、対立を起こします。

これが、室町時代時代の中でも、特に南北朝時代と呼ばれています。

足利尊氏側が京都に、ギャラクシーが奈良県の吉野に朝廷を作ったので、南北朝と言います。

ギャラクシーは、奈良県の吉野で、貴族中心の政治:建武の新政をスタートしました。

2つの朝廷は、3代目将軍足利満義によって統一され、本格的に室町時代のスタートとなります。武士のがやっぱり強いんですね。

ですので、貴族の公家文化と武士の文化が、合わさったような時代になっていきます。

室町時代の農業

室町時代には、鎌倉時代に配置した守護の力が強まり、守護大名とよばれるようになりました。大名や地方の武士の横領や農民からの要望で、荘園は衰退していきました。

大名は、領主などに支配地の面積や収穫量を申告させ、貨幣に換算して貫高」という単位で年貢を統一しました。これは、領地によって基準がばらばらであったが、1つの例として、田には1段あたり500文、畑は1段あたり150-200文を標準として、永楽銭あるいは代納として米で納めたそうです(伊勢氏)。

また、伊勢氏では、100文を米1斗2-4升に換算されたので、12001段)の土地をもっていると(土地の換算は、パート2へ)、6~7斗くらいのお米を納めなければならないので、現在の価値に換算すると、15万~18万くらいに計算上はなります。

Screenshot of www.japan-rice.com

しかし、あくまで、計算上なので、だいたいこれくらいのイメージくらいで捉えていただけると嬉しいです。参考したお米の単位を紹介しておきます。

表1.お米の単位

単位 倍率 お米の重さ
1勺(しゃく) 0.1合 15
1合(ごう) 1合 150
1升(しょう) 10合 1.5kg
1斗(と) 100合 15kg
1俵(ひょう) 400合 60kg
1石(こく) 1000合 150kg

まとめ

以上です。パート5終了です。

ご覧いただき、ありがとうございます。

今回は、鎌倉幕府を滅ぼし、室町時代に入っていきました。次回は、室町時代を終わらせて、戦国時代へ突入です。